高いのだろうか

もう一週間経ったんだ。あっという間の一週間だった。何だか自分の中では空白の一週間というような感じである。
一週間前も、こんな感じでPCに向かって、その日(八月二十三日)の二つ目のお題を書いていて、結局それは二十四日公開としたのだが、それが公開されることなくAmway傳銷、まったく予想だにしていなかった現実をその後公開することになった。
何度も書くが人生というのは本当にいつ何が起こるかわかったものではない。こんなふうに終わった出来事として記そうとしているが、この数時間後にまた予想もしていなかったことが起こるかもしれない。例えば症状が再発して再び床に臥してしまうやもしれんし、もしかしたらこの世からおさらばしているかもしれん舒緩經痛。人の生というのは、実はそれくらい危ういものなのだ……ということをなぜか実感したこの一週間だったのだ 。

そんなこんなで、この土日はいつもの生活を送っている。もちろんあまり無茶はできないのだが、それでもいつまでも半病人のような状態で過ごすわけにもいかない。リハビリしつつできるだけ通常の生活に戻る必要がある。このまま働かずに隠居のような生活を送られるのであればまだしも、死ぬまで働かねばならない身の上では、早く社会復帰もせねばならん。だからもう普通の生活と言っていい。昨日も今日もワンコの散歩、そして掃除機がけをこなしたのだが、ほぼ元に戻ったと言っていい状態だ。
しかし入院中のほとんどの時間をベッド上で過ごし、かつ水、茶以外の摂取を禁じられたがために体重が四キロ近く減り、今もまだ完全には戻っていない。
体重が減り、顔が少しやせた(ように見える)。下腹部のでっぱりも少々へこんだ(ような気がする)。しかし現実的に一番実感したのは何かと思われるか?この歳、いや、この歳じゃなく若年であってもそうじゃないかと思うのだが、入院してベッドに横たわったまま、しかも絶食という生活を送ると体重が間違いなく落ちる。体重が落ちるということは、すなわち体に存在していたものがなくなるということなのだが、さて体のどこにその現象がはっきり出ると思われるか?

答えは「足」だ。もっとわかりやすい書き方をすると足の筋肉である。それでもピンと来なければ「脚力」と書けばいいか柏傲灣呎價
とにかくそれまで何不自由なく普通に歩けていたのに、自分でも不思議に思えるくらいうまく歩けないのだ。たった数日間ベッドで横たわっていただけなのに、こうも見事に足の力というものが弱まるとは思いもしなかった。脛や太ももをじっくり見てみると確実に筋肉が減っていることがよくわかった。減量した四キロのうち、おそらくその八割ほどが足の筋肉だったのではないだろうか。
できれば下腹部に蔓延っている無駄な脂肪が減ってくれれば一番よかったのに、こういう時に減るのは無駄なものではなく必要とするものなのだな。そういう意味では(必要とする)お金が予想外の形で出て行ってしまったから家計が火の車の様相を帯びてきた。早急に保険会社に給付金の請求をせねばなるまい護理服務

それにしても数日の入院及び治療等なのに医療費がこんなにかかるとは驚きである。詳細な金額は伏せるが「ウン万円」、健康保険適用の三割負担でもこんな額になるのだ。これまでに入院なんてしたことがなかったから、実際に入院費用がどれくらいかかるものなのか考えたことがなかったのだが、実際に経験してその費用の高さにびっくりである。
でも素朴に思う。どうして医療費というのはこんなに高いのだろうか。
治療の相場ってあるのだろうか。物の値段というのは原材料費にその他の経費、そして儲け等が加味されて決まるが、医療行為の相場ってどう決まるのだろう。世間的には「診療報酬点数」というものにて、それぞれの診療行為に対する点数が決められていて、一点につき十円ということらしいが、そもそもその診療点数って誰が決めているのだろう。そして診療行為に対する点数の妥当性って誰が判断しているのだろう。
私見だが、おそらくは医療関係の官僚なり関係する行政機関なりが決めているのではなかろうか。そしてやはり複雑な利権が絡み合っているのだろう。表面上どれだけ綺麗ごとを並べても、病院も製薬会社も営利企業なのだから儲けを出さねばならんしな。結局しわよせは利用者に来るってことなのだろう。